古本 フリマ 散歩


by souslecieldetokyo
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日支関係×2冊

 旦那の実家綾瀬のいかした古本屋、デカダン文庫で旅行前に買ってあった東亜同文書院生 山本隆 1300円と、内山完造伝 小澤正元 1600円(両方とも私にとっては高額品、清水買いする)にようやっと着手、しかし考えつつ、感じつつ、すぐに読みきった。
 
 東亜同文書院とは、戦時下上海にあった、大元は日支親善友好を目的として出来た学校で、我が老師の母校でもある、私にとってとても興味の尽きない存在であったが、NHKの“ドキュメント昭和”を書籍化した角川の本で一章触れられていたくらいで、その全てを知ることはなかった。
 頼みの綱の老師は、昭和17年頃の入学で、最後の1,2年は学徒出陣で勉学どころではなかったので、名物の卒業大旅行もすることなく敗戦、引き上げ、とのこと。当時のことはあまり話して下さらない。
 
 筆者は昭和12年入学の、16年12月卒業、その後も上海で過ごし、旧満州で敗戦を迎え、1年後の12月に引き上げている。
 彼が在籍していた頃は、ストームという寮内での飲み会が盛んだったこと、同県人の先輩が朝夕一時間ごと1年生の中国語勉強をフォローしていたこと、2浪3浪の強者も多く自由で賑やかな雰囲気だったこと、「点と線」でなく「点と点」であった戦時下の中国を卒業調査旅行したがどこでも同文書院生と分かると歓迎されたこと、長崎分校時代の夜遊びの相手と後に満州で出くわし、強制労働逃れの偽装結婚をしたが、引き揚げ船で帰る際、彼が寝ている間にロシアの兵隊に慰安婦で取られ、気が付いたら居なかったこと、父方の仙台の実家で中学人留学生を下宿させていて、その時の学生の娘さんと恋仲になり、敗戦後何度も上海へ戻ろう試みだが行けなかったこと、等々、歴史の波と自身の葛藤と、筆者の青春が詰まっていて、同文書院のことどもだけでなく、読み応えがあった。
 
 自由を求めて上海という別天地の同文書院に入ったが、結局日本軍の保護下で卒業旅行をし、自由でない。その外に出てみてもやっぱり中国軍という別の軍に入ることでしかない…という、権力の傘の下の自由と、反権力の立場を取れば、一生追われる身の不自由さ。この二つの狭間でもがき苦しむ姿が、印象的であった。
 私なら、どうするか。。。魯迅の妻、許広平のように、反権力を貫けるか。。。

 
 
 内山完造伝も、そうしたことを感じさせる、少々文章は読みづらかった箇所もあったが、私にとって考えるところの多い本となった。
 魯迅と彼の友情関係は広く知られていて、上海では二人の語らう銅像も立っているし、現在の魯迅記念館は旧内山邸だ。語られている本も何冊か読んだ。それでも、内山氏自身にここまで焦点が絞られた本を読むのは初めてだったので、知らないことも多く、また、日中友好協会の初期の歴史も語られていて、勉強になった。
 
 まず驚いたのが、内山氏が、文楽のあばらかべっそん宜しく、とんでもない悪がきで放蕩丁稚だったこと。色でなく、食道楽ではあったが。
 その後とことん迷信に懲り、しかし導かれてキリスト教と出会い、裸一貫で眼薬の宣伝販売の為中国に渡り、日本人苦力時代を経て、内山書店を開くにいたった。商品の本をすべて部分読みし客との会話に困らないようにしたり、支那人日本人軍人学生、身分職業問わずどしどし貸し売りし信用を厚くし、書店隅に席を設け茶を振る舞い交流を図り、どんなに忙しくても内村艦三の書と聖書の勉強は欠かさずし。。。頭が下がる思いだ。
 
 しかし魯迅とどうしてあれだけの親友でありえたかというと、彼の大衆性に魯迅の思想が反応した、それが一番の要因ではなかったかと感じた。
 初めての揚子江下りで、他の日本人が手が出なかったどろどろのお粥と塩蛋の朝食という「試験」に合格した時からずっと、彼の視線は中国の大衆と共にあった。
 また、奥深い中国のあれこれに触れるにつれ、中国からこそ何かを学ぼうと心して、少し崇拝とも取れるほど、中国に魅力を感じていた。
 多くの日本人の様に利益不利益で議論をせず、良い悪いで議論をしたのも、魯迅の気に入るところであったろう。
 横眉冷対千夫指 俯首甘為儒子牛(敵に対しては一歩も譲らないが、人民に対しては牛となって奉仕する意)の言の説明を魯迅から受け、泣き、また魯迅も涙を流した、この心の交流こそ、二人の関係の真髄と思った。
 
 最後まで魯迅一族を守り抜き、命の、心の支えとなったその功績はあまりにも大きい。また戦後の日中友好協会初代理事長としての功績も称えられてしかるべきだ。日本に彼の資料館記念館が無いのはどうしてか??神田の内山書店は健在だけれど。。。


 
 今日は本当は老師が行きたいとおっしゃっておられた小ロンポウのおいしいという店へ、済南で幼少時を過ごし引き揚げてこられた老婦人の元クラスメイトと、チビと、誘ったが来られなかったので老師抜きでお昼を食べに行った。彼女の戦中、戦後のお話もとても興味深く、お父上は35歳で兵隊に取られシベリアで帰らぬ人となり、墓参に旅したときの話なども胸が痛んだ。
 
 なんだかずーっと戦中戦後の日支のことを考えていた数日間。
 クラスメイトも言っていたが、悲惨なことだらけの戦争だったが、軍人軍閥国としての日本は嫌いでも、個人レベルでの心の交流は確かにあった、そのことが唯一の救いのような気がする。
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by souslecieldetokyo | 2008-07-30 00:42 | 古本