古本 フリマ 散歩


by souslecieldetokyo
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カティアの黒パン

タンネで黒パンを買ったのには、ちょっとした訳があって、
それはここ最近、須賀敦子の本を読み返しているせい。
須賀敦子は大好きな作家の一人で、
日本人がまだ海外で珍しかった時代に、
女性が、海外において、結婚というゴールに頼らずに人生をどう過ごすか?
ということを真剣に考えた人で、
谷崎や漱石といった日本文学を始めてイタリアに紹介した、翻訳の第一人者でもある。
本当は妊娠の記念に何かちゃんとしたジュエリーでも買おうかなと思ったりもしたが、
やっぱり…念願の須賀敦子全集を買うことにしたのだ。

その須賀敦子の本の中に、
フランスの留学時代、ルームメイトだったカティアというドイツ人女性の話が出てくる。
彼女も修道院という高い塀に守られて生きる人生でなく、
社会の中で普通の人と同じ生活をしながら、宗教を、深い精神世界を生きるには
ということを真剣に考えるためにフランスに留学に来ていて、
同じように、自分自身の人生を生きるために悩む須賀さんと、いい友達だった人であり、
若き日の須賀さんにイタリア語の基礎を教えた人でもある。
その彼女が、日々朝ごはんに食べていたのが、
ドイツから持ってきた黒パンを薄ーく切ったものに、
たっぷりのクリームチーズとトマトのスライスを載せたものだった。

黒パンを食べたいなあ、とは思っても、そのどっしりした酸っぱいパンは、
カティアがパリでそれを買えなかったように、日本のデパ地下でもなかなか見かけない。
それで、今度タンネに行ったら、絶対に買おうと決めていたのだ。
カティアが、「あと何枚食べられる?」とちょっと惜しそうに聞きながら、
薄く切った黒パンを須賀さんに振舞ったことを思いながら、大事に噛み締めるようにして食べると、その味はまた格別。

話の結末はこうだ。何十年も音信が不通になっていた両者が、
共通の知人がいたのをきっかけに、世紀末の東京に一時間だけ会う。
「透明な蜜を流したような四月の夕方だった。」
桜なんて本当はどうでもいい、あなたに会えただけで満足しているのというカティアと、
桜の花に呆けたようになる須賀さん。
市ヶ谷の土手を四谷に向かう短い距離を、
それぞれの長い人生の道を選んで今は安らいでいる二人が、
ほんの一瞬、言葉少なに同じ道を歩む。
「ちっとも変わっていないね。
すっかりやさしい老女になった彼女は、そう言うと、さもおかしそうにくつくつと笑いつづけた。」(カティアが歩いた道・「ヴェネツィアの宿」)
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by souslecieldetokyo | 2005-10-06 18:08 | 日々是雑記